私たちのものづくり#10 信州小布施が惚れ込んだ、生命力溢れる英国産のりんご「ブラムリー」前編
イギリスで200年愛され続ける、料理用のりんご「ブラムリー」
ハンデルスベーゲンがお届けする、2023年秋の新フレーバー「ローストアップルシナモン」。このアイスクリームには、英国品種のりんご・ブラムリーが使われています。
ブラムリーという品種があることを初めて知ったという方も多いのではないでしょうか?イギリス・ノッティンガム州で200年ほど前に誕生し、生食用としてではなく料理用の「クッキングアップル」として今もなお愛され続けている青りんご。さわやかな強い酸味のあるブラムリーは生ではとても食べられませんが、加熱すると果肉がすぐにトロっと柔らかくなり、酸味とコクが合わさってとてもおいしくなります。日本では主に長野県小布施町で栽培され、今までにないその新鮮な味わいが、料理研究家やレストランのシェフ、愛好家から注目されています。
新フレーバー「ローストアップルシナモン」では、まずベースとなるミルクアイスに無添加のブラムリーピューレを加え、力強い酸味が感じられるりんごフレーバーのアイスクリームをつくります。具材となるブラムリーにはたっぷりのバターとシナモンを使って果肉を感じられる程度に火を通し、リンゴのお酒であるカルバドスで香りづけ。そこで出た果汁のソースを使って特製アップルシナモンキャラメルソースをつくり、黒糖の甘みで全体をまとめあげました。
りんご、シナモン、キャラメル。まるでアップルパイのような王道の組み合わせですが、ブラムリーのおかげで濃厚かつ後味爽やかな、今までにないアイスクリームに仕上がっています。
そんなブラムリーを使った「ローストアップルシナモン」を考案したのは、ハンデルスベーゲンの鶴巻さん。鶴巻さんは、ベジタブル&フルーツマイスターの資格を有し、野菜・果物の知識やおいしさ、楽しさを理解し伝えるスペシャリストです。個性の際立った旬の果物をアイスクリームに閉じ込めたい。また料理して初めて口にすることのできるブラムリーのことをもっと多くの人に知ってもらいたい。そんな思いから、この「ローストアップルシナモン」が誕生しました。
今回は、鶴巻さんとブラムリーの産地である長野県小布施町へ。りんご農家の荒井さん、小布施町振興公社の古谷さんにお話を伺いました。前編と後編の2回に分けてお届けします。
イギリスで見出した、りんご農家の新しい希望
ブラムリーは、旬が短く日持ちしないこともあり、一般的なスーパーや八百屋さんで見かけることはほとんどありません。まだまだ珍しい存在のブラムリーのことをもっと知るべく、ブラムリーを小布施町に導入した立役者・荒井豊さんを叔父に持つ、ブラムリー農家の荒井茂生さんを訪ねました。
「リンゴ農家の四男として小布施で生まれ育った叔父は、故郷のりんご農家の衰退に心を痛め、盛り返せないかと考えていました」。
かつては、栗と並んで全国に知られる名産地として知られていた小布施のりんご。それが1960年代後半、ふじや紅玉などりんごの価格が暴落したことを機に、りんご作りを辞めたり他の果物に切り替えたりする農家が増えていきました。
当時西武グループに勤めていた荒井さんの叔父さんは、リゾート開発の仕事の関係で幾度と渡英するうちに、イギリスの家庭の庭には必ずといっていいほどりんごの木が植えられていることに気付きます。これこそがブラムリーの木でした。
家庭で収穫されたブラムリーはアップルパイといったお菓子だけでなく、サラダやお肉のソースなどあらゆる料理に気軽に使われていること、イギリスでは日本のような生食用のりんごをデザートアップル、料理用のりんごをクッキングアップルと呼び区別していること、英国生産のりんご約20万トンのうち約45%がブラムリーであるということなどを知り、衝撃を受けます。
「そして、故郷とりんごへの強い思いをブラムリーに託したのです」と、荒井さん。生のりんごをそのまま食べるのが一般的な日本。料理して楽しむりんごは知られていませんでしたが、このブラムリーこそがりんご農家の活路になるに違いないと考えた叔父さんは、当時の小布施町町長に相談し、導入に繋げていくのでした。
誰も知らない存在「ブラムリー」の、試行錯誤の日々
とはいえ、誰一人としてブラムリーのことを知りません。見たこともなければ食べたこともない。まずはブラムリーの原木のある、イギリスの片田舎へ視察へ行くことからはじめました。
「イギリスでブラムリーを丸かじりした時、感動しました。印象としては『酸っぱい』ではなくて『爽やか』で、この酸味はうまいな!と。日本の酸味のあるりんごはいろいろと食べてきたけれど、そのどれとも違う。豊かな風味と香りも相まって、今までにない爽やかな味わいだったんですよ」と、荒井さん。
その後、英国王立園芸協会に何度も辛抱強く交渉した熱意が認められて、1990年、ブラムリーの穂木は横浜の検疫所へとやってきました。一年間の検疫期間を経て1991年、イギリスから荒井さんの実家のあった小布施町へと渡ってきたのでした。
さあ、そこからというものが大変でした。「通常、農家として新しい果物の栽培を始める際には、町やJAがサポートに入りしっかりとノウハウを教えてくれてスタートとなるのですが、ブラムリーは誰も育て方を知らない。訳が分からない状態で、5、6年は過ぎていったと思います」。ブラムリーの苗木を分け与えられた荒井さんら農家さんたちは、剪定のタイミング、肥培管理・・・逐一情報交換をしながら、辛抱強く育てていきました。
イギリスと日本の根本的な違いは、気候。イギリスは、緯度でいうと北海道と同じぐらいの高さに位置していますが、暖流の影響で一年を通して比較的温暖です。対して小布施町は、内陸盆地特有で寒暖の差が激しく、夏は酷暑で冬は厳冬。そんな小布施でブラムリーがものになるかは誰にも分からなかったし、ブラムリーにとって強烈で大変な場所だったはずと、荒井さんは振り返ります。
試行錯誤の甲斐あって、たわわに実るようになったブラムリー。次に頭を抱えたのは、その売り方でした。「誰もブラムリーのことを知らないし、『料理用のりんご』だなんて馴染みがない。無事栽培できるようになってからは、料理研究家のみなさんにも関わってもらって、日本ではどんな料理に活かせそうか、うんと研究していきました」
そのようにして、さまざまな人の力を借りながら地道に認知を広げてきたブラムリー。すると、唯一無二の特徴を持つブラムリーの存在を知った料理研究家やシェフの間でファンクラブが誕生したり、とある果物専門店で取り上げられ着目されたりと、虜になる人が多数現れるようになりました。「ファンクラブができたと聞いた時にはたまげたね。料理好きの人ってこんなにいるんだなと、嬉しくなりました」。
自然にたくましく育つ、ブラムリーの生命力と神秘性
「私は、ブラムリーに強い生命力を感じます」と、荒井さん。通常のりんごの木はだいたい30年から40年が収獲の寿命と言われていますが、ブラムリーの原木は、200年経ったいまもなお美しい緑色の実をつけているそうです。
ほとんどのりんごは毎年実をつけますが、ブラムリーは2年に一度の隔年性。「今年は負担がかかったなと思ったら、翌年は花も実もつけない。はじめは、木がダメになってしまったのではないかと思って焦りましたが、実に面白い性質だと思います。私には、ブラムリーが自身の体力をコントロールしているかのように思えるんです。だから200年も生きることができているのではないかな」
「春につける真っ赤で大きい花はゴージャスで美しく、りんごの実は日本にあるどのりんごの色とも違った力強く鮮やかな緑をしている。さらには自分で自分の体力をコントロールできるんです」。ブラムリーの魅力について熱っぽく教えてくれた荒井さん。「イギリスへ行った際に視察したブラムリーの原木の隣には、立派な教会が建っていました。その姿も相まって、ブラムリーはもしかしたら神様がつくり上げた生き物なのでは?と思うぐらいの荘厳な印象も受けましたね」
そんな魅力が詰まったブラムリーですが、最近の小布施ではぶどう栽培が盛ん。中でもシャインマスカットは全国的なブームで需要が上がっていることもあり、新しくぶどう農家を始める方も多いのだとか。荒井さんは、そんな中でもブラムリーを扱う農家さんを増やして次の世代へと繋げていきたいといいます。
「最近の若い農家さんはぶどうばかり。もちろんそれもいいのですが、ブラムリーはとても育てやすく手がかかりません。ぶどうの木の隣にちょっと植えて、育ててみたらいいと思うんです。酸味が強く虫も鳥も食わないため、防鳥網もいらなければ、農薬や化学肥料も使わなくていい。自然の力だけで育ってくれて、さらには収穫期間も短いため台風などに重なることもありません」
余計なものは使わず、自然の中でたくましく育つ力強いブラムリー。その姿は、余計なものは使わず無添加製法で、自然の素材だけを使ったシンプルなアイスクリームをつくろうとする、ハンデルスベーゲンの姿ともリンクしていました。
後編では、農家さんからパスを受け取り、加工から販売までに携わる小布施町振興公社の古谷さんを訪ねました。ブラムリーがハンデルスベーゲンのアイスクリームになるまでのプロセスを辿ります。